2009年9月21日月曜日

国家という言葉の曖昧さ

「国家」という言葉の曖昧さは、「国家」と「社会」の境界の曖昧さを反映しているのかもしれない。


飯尾潤著『日本の統治構造』より:

   第2章 省庁代表制

   6 深く浸透する国家

 民間企業に委託された政府機能

(略)

 さらに、関連団体のように、目にみえるかたちでなくても、政府の外延が社会に広がっている事例も多い。たとえば、税の徴収における源泉徴収である。確実に税を徴収するために源泉徴収制度を備える国は多い。しかし日本の場合、源泉徴収のほかに、複雑な税額計算まで、多くの民間企業が納税者たる従業員あるいは徴収者である税務署の代わりに行っている。年末調整などの制度を使えば、多くの給与所得者は、税務署と関係を持たないまま、納税という重要な行為を終了する。これなどは、企業の経理部門が、政府の役割を一部肩代わりしている事例であって、見方を変えれば政府機能が企業のなかにまで入り込んでいるともいえよう。

 曖昧な「国家」と「社会」の境界

 このように考えると、政府と政府の外側との境界は不明確になる。それを言葉から示唆するのが、日常言語における「国家」「国民」などお用語の混乱である。
 たとえば西洋流に国家をステート(state)の訳語であると考えると、その国家には一般民間人は含まれない。国家は支配機構である政府を意味するからである。西洋の政治学では、国家(state)と社会(society)の二分法をもとに議論を展開することが多い。国家には社会は含まれないのである。しかし多くの日本人は、自分を国家の一員だと思っているのではないだろうか。
 逆に和英辞書では国民をネーション(nation)と訳すのが普通である。だが、ネーションは、国を成り立たせている人々の集合体であり、それぞれの国に一つだけ存在するものだということに注意する必要がある。そこで、よく使われる「国民一人一人」というときの国民がネーションを指すのは具合が悪い。その場合の国民は、ピープル(people)であって、これを「人民」と訳すのを嫌って、国民と呼ぶ場合が多いように思われる。
 つまり、実は、多くの人が自分もメンバーだと思っている「国家」はネーションを意味すると考えたほうがよいのである。その意味では日本では、ステートとネーションの区別がはっきりしない面がある。
 そうした言葉遣いの検討から、日本では国家と社会というような二分法が必ずしも一般に理解されていないと考えられる。(略)
 実際に、日本ではステートとしての日本国家が深く社会に浸透し、その境目がはっきりしなくなっている。




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